アニメの快楽 -自立するオープニングアニメーションに見る「映像的快感」の正体-


 序章:テレビアニメーションの現在

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 「今や日本が世界に誇れるのは、マンガ・アニメ・ゲームだけである」という主張が定番となって久しいが、その主張が妥当であるかはともかく、日本の映像文化を語る上で、アニメーションを取り上げずして済ませることは出来ない。一口に「アニメーション」と言っても、クレイアニメーションから3DCGアニメーションまで多種多様なアニメーションが存在するが、本書では最も一般的なセルアニメーション、及びセルアニメーションの制作手法をそのままデジタル化したデジタルアニメーションを取り上げ、以降単純に「アニメ」と呼称する。
 アニメは決して日本オリジナルの表現媒体ではない。だが、日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」以来、リミテッドアニメーションという手法を発展させながら進化してきた日本のアニメが、今や巨大なマーケットを独自に形成するまでに成長していることは、誰の目にも明らかである。アニメ専門誌"月刊Newtype"には、その月のテレビアニメ放映情報が一括して紹介されている。手元の2002年1月号を見てみると、そこには新作のテレビシリーズ65作品が掲載されており、その多くが三ヶ月もしくは六ヶ月のシリーズであることを考えれば、単純計算で年間200本近い数の作品が新たに制作され放映されていることになる。本書ではこの、まさに大量生産・大量消費される商品としてのテレビアニメに注目したい。  高度経済成長を経てモノが有り余るほどに溢れる時代を迎えた日本において、人々の拡散する欲求は「娯楽・快楽」というただ一点に集約して説明することが出来る。消費社会の中で人はモノ本来の使用価値を離れた「パノプリ」としての商品に対して消費行動をとるようになったとするジャン・ボードリヤールの指摘は定説であるが、そもそも我々の生活に「必要」なモノのほとんどが、生物的・本能的な生活には「不要」であることは、少し考えてみれば分かることだ。生存・繁栄が保証されている現代、我々を取り囲むあらゆる商品はもはや、より「楽しく心地よい」生活のためだけに存在する。その中でも象徴的なのが、現代において最も価値ある商品、「情報」だ。
 広義の「情報」について、人間はその大半を視覚から得ているという。いわゆるマス四媒体のうち、三媒体までが視覚情報に訴えるメディアであり、とりわけ動画というもっとも情報量の多い視覚データを提供するメディアであるテレビが、四媒体の中では最後発であるにも関わらずマスメディアの代名詞的存在にまで成長したことは、我々がいかに視覚情報を求めているかの何よりの証と言える。我々は視覚情報なしには生きることが出来ない。そして「視覚」と「娯楽・快楽」が一体化した「情報」、つまり視覚メディア上のエンターテインメントコンテンツ、例えば映画やテレビのプログラムこそが、今最も求められている商品である。先に「情報」が象徴的だと述べた理由は、それが「何の役にも立たない」からだ。飢えを満たし寒さを防ぐことは出来ない、ただひとときを楽しく(あるいは意図的な悲哀・恐怖もまた当然ながら娯楽要素である)過ごすことができるというだけのそれらはまさに、消費社会において本能的欲求を離れた人間の人間らしい欲求がストレートに表れたマテリアルであると言える。
 中でも今回特にアニメという形態に注目する所以は、その独特な制作形態にある。アニメとは、対象にレンズを向けフィルムやテープを回せば何らかの映像が必ず得られる実写の映像とは違い、画面の全てを人間が設計し要素の多くもしくは全てを人の手で描くという極めて特殊な方法によって構築される映像だ。画面に何かを登場させるためには、それが人物であれ背景であれ小道具であれ、全て人間が用意しなければならない。どのショットを何秒何コマ継続させるか、ある要素がどの位置からどの方向にどれくらいの速度で移動するか、全て人間が決めなくてはいけない。そこには、人間が映像に何を求めているのかが、極めて如実に表れてくるのではないかと考えられる。濫作とも言うべきテレビアニメの流通量の多さに加え、「オリジナルビデオアニメーション(OVA)」と呼ばれる販売専用のパッケージソフトの数々、そして過去の作品のDVDでの再リリースラッシュなど、アニメ市場は飽和ぎみとも言える活気を見せている。これほどまでにアニメ作品が大量に流通するに至ったのは、そこに我々人間が「求める映像」が間違いなく提供されているからではないだろうか。人々の映像への欲求が具現化されたメディアとしてのアニメ。我々が映像に求め映像から得ている「充足感」が、そこには必ず存在するはずだ。この「充足感」は、時に「快感」とも言い換えられよう。「オープニングアニメーション」と呼ばれるアニメ映像を糸口に、その「映像的快感」の正体と発生のメカニズムを探っていくこと、それが本書の目的である。

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2002 SVE